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FAO駐日連絡事務所 Liaison Office in Japan

第1回 世界農業遺産の概要

第1回 世界農業遺産の概要 (「世界の農林水産」2016年秋号より抜粋) 

遠藤 芳英 FAO GIAHS事務局GIAHSコーディネーター

現在、世界では36ヵ所の地域がFAOの認定する世界農業遺産(GIAHS)に登録されています(2016年8月現在)。FAOで世界農業遺産の業務に携わる遠藤氏が、世界農業遺産とFAOの取り組みを紹介します。

はじめに

世界農業遺産(GIAHS)はFAOが2002年から取り組んできた活動で、国際的に顕著な特色を有し遺産価値のある、次世代に引き継ぐべき農業生産システムを指定し、その保全を促すとともに、それらを取り巻く環境への適応や更なる発展を目指していく事業です。これから数回にわたり、この世界農業遺産をめぐるさまざまな動きを紹介していきたいと思います。初回の今回は、世界農業遺産とは何かを明らかにしたうえで、FAOの事業概要やその仕組みをさまざまな観点から紹介することにします。

世界農業遺産とは

世界農業遺産の英語表記は、GIAHSすなわちGlobally Important Agricultural Heritage Systemsとなっており、このsystemという言葉があるように、単に農業生産活動だけでなく、農業生産を核としたさまざまな要素で構成される包括的な体系を意味します。その中身に関しては、世界農業遺産の成立を見ればよく理解できるはずです。すなわち、世界農業遺産と称されるものは、世界各地において、農民が幾世代もの年月を費やし、気候や地理的な制約要因を知恵と工夫で克服し、環境に適応または環境と調和した農業を育んできた結果、以下に述べるような地球的価値のある特色を有したシステムが形成されてきたものです。

その特色とは、まず、幾世代もの工夫の積み重ねによって、持続可能な農業生産が形成・維持され、その結果、当該農村地域の食料安全保障や生計に大きく貢献することが可能となっていることです。また、環境への適応を目指してきたことにより、農薬や肥料などに過度に依存せずに生態系と調和し、さまざまな作物を組み合わせて収量の変動を抑え、作物間の相互作用を巧みに利用する農業栽培種の多様性(agrobiodiversity)を実現しました。さらに、気象条件や地理的環境への適応・克服を図る過程で、農業生産に関する知恵や工夫や技術を生み出します。そして、農民の長い年月の自然への働きかけにより、その地域の農地は見事な景観を形成するに至るのです。また、こうした一連の営みにより文化が形成され、知識や知恵を伝承するための組織的な活動も発生するようになります。世界農業遺産は、まさにここで述べたようなさまざまな特色を有したシステムとして、世界的な遺産価値を有するようになったものを対象としています。この点は、次回以降で詳しく紹介しますが、ユネスコの世界遺産との大きな違いのひとつでもあります。

さて、今ここで簡単に述べたさまざまな特徴は、実はそのまま世界農業遺産を選定するための5つの基準でもあります。これは偶然ではありません。世界農業遺産は、ひとことで言うと国際的な特色を有する農業システムですが、この特色は上のような背景で形成、維持、発展してきたものであり、そうした考察を基に世界農業遺産を選定するための5つの基準が作成されたと考えていいでしょう。

 

採択された農業遺産

表1は、今までに採択された世界農業遺産の一覧表です。15ヵ国で36ヵ所の世界農業遺産が採択されてきました。詳細は次回以降でまた紹介しますが、全体を概観すると、まさに世界各地の農業を代表するような多様性を示しています。アジアでは、例えば中国やフィリピンの棚田による稲作が特徴的な存在です。棚田自体、日本を含めてアジア地域に多く存在していますが、この棚田はその規模や歴史において、まさに世界的な価値を有するものといえます。この双方の地区では、地元の農民がかなりの年月をかけて広大な自然の山地を水田に替え、見事な景観を造成し、さらに水田に水を供給するシステムや複数の品種による栽培方式を構築してきました。

中国には、これ以外にも10ヵ所の世界農業遺産があります。日本にも8つの採択地域がありますが、日本の果たした役割は、それまで途上国だけが対象と思われていた世界農業遺産が、先進国でも存在しうることを示し、世界的な展開の可能性を示したことです。アジアにはこのほかにも、インドのクッタナードの低湿地帯で営まれる稲作を中心とした農業やバングラデシュの洪水多発地帯での浮き農地を使った野菜栽培など、不利な自然条件を克服した事例が見うけられます。

さらに、南米のチリのチロエ島やぺルーのアンデス高地では、ジャガイモなどの原種に近い品種が現在でも数百種類という規模で栽培されており、こうした農業栽培種の多様性(agrobiodiversity)という特色が評価され、世界農業遺産に指定されています。

北アフリカや中東では、チュニジア、モロッコ、アルジェリア、アジア首長国連邦(UAE)で、乾燥地帯での農業生産を行う知恵の結晶であるオアシス農業が指定を受けています。興味深いのは、世界農業遺産に指定されたこれらのオアシス農業でも、さまざまな特徴を有していることです。

アフリカでは、ケニアとタンザニアのマサイ族が長年かけて築き上げてきた、自然環境と調和した持続可能な遊牧のシステムや、タンザニアでの森林と農業農作物を組み合わせたシステム(いわゆるアグロフォレストリー)が採択されています。このように、世界各地の知恵と工夫を凝らした特色豊かな農業が指定を受けてきました。

表1からすぐにわかる通り、現在のところ、アジア、特に日本と中国の数が多く、欧州、南米やサハラ以南のアフリカの少なさとは対照的な姿となっています。これは、日本と中国が熱心で取り組みが活発なことに起因するもので、他の地域では最近になるまで世界農業遺産の存在すら知らなかった国も多く、こうした国ではこれから取り組みが開始されるといった段階にあるためです。

南米諸国では、最近になって関心が高まっており、今年の4月下旬、南米全地域を対象にした世界農業遺産のワークショップを開催したのですが、メキシコがチナンパ(アステカ時代から維持されてきた農地)農業の提案書を提出してきたほか、ブラジルでも提案候補地区の認定を開始し、他の南米諸国でも関心が高まっていることが確認できました。アジア地域でも、韓国、タイ、ベトナム、インドネシア等で具体的な提案作りが進んでいると聞いています。サハラ以南アフリカでは、多様な農業が営まれ、世界農業遺産になり得るさまざまな潜在的候補があるのですが、率先して国内の関係者を取りまとめる力に欠けるため、具体的な提案になかなか結びつかないようです。

欧州ではいまだに世界農業遺産の認知度が低いのですが、最近になってスペイン、イタリア、スイスといった国の関係者が世界農業遺産への関心を示してきています。欧州諸国では、ユネスコの世界遺産の文化的景観(cultural landscape)という分類で、いくつかの農業地区が指定されていることもあり、農業遺産との区別がまだ明確でないことも影響していると私はみています。

 

世界農業遺産が目指すもの

ではこのような世界農業遺産に関するFAOの業務は何を目指しているのかを説明したいと思います。FAOは、このような性質を持つ世界農業遺産を指定することにより、遺産的価値のある農業システムを保全し、次世代に継続していくことが重要と考えています。また、単に昔ながらの農業システムを保全するだけでなく、農業システムが遺産的価値を維持しつつ、それらを取り巻く諸環境に適合し、さらに経済的、社会的な発展を促すことも目的と考えています。世界農業遺産は農業が中心ですから、その農業活動が停止しないように伝統的な価値を残しながら、時代に適合していくという基本的視点を有したものなのです。つまり、単に保全するのではなく、世界農業遺産が今後とも継続していけるような変化も視野に入れています。しかし、FAOが単独で世界の農業遺産の保全や更なる発展を実現できるわけではありません。世界農業遺産を有する国、自治体政府、農業者自身やその組合、地域社会、さらには市民社会や研究者が協力して対処しなければなかなか困難でしょう。こうした保全の在り方は、英語でDynamic Conservation(能動的な保全)と呼ばれており、普通のConservation(保全)と意図的に意味の違いをつけた形で使われています。

さて、ここからは今までの世界農業遺産の活動ではあまり主張されてこなかった、私がこれから理論的に構築しようと考えている農業遺産の目標を少しだけご紹介します。FAOはご存知の通り、飢餓や貧困の解消を目指しています。FAOが世界農業遺産を行う意義は、単に遺産的価値のあるものを保全し、維持させることだけではないと思っています。それはむしろユネスコの仕事です。FAOのすべての活動は、世界的な農業の持続可能な発展への貢献を目指すべきであり、そうした意味からも、世界農業遺産はその保全や発展を通じて、指定された地域以外の農業の発展に寄与すべきと考えています。ではどうやってそれを可能にするかは今も模索中ですが、世界農業遺産は、さまざまな試練を生き抜き、持続可能な農業生産を実現してきた存在です。それらの成功体験や革新的な知恵や技術を学習し、うまく適応させることができれば、同じ国や世界の他の国の同様な農業地域の発展につながると考えています。

次回は、世界農業遺産に関するFAOの具体的な業務をご紹介します。