FAO駐日連絡事務所 Liaison Office in Japan

第2回 世界農業遺産の概要

第2回 世界農業遺産のための業務 (「世界の農林水産」2016年冬号より抜粋)

遠藤 芳英

FAO GIAHS事務局GIAHSコーディネーター

今回は、FAO本部における世界農業遺産事務局の具体的な業務内容を見ていきましょう。

1.世界農業遺産の認定業務

① 申請書の作成から提出まで

世界農業遺産(GIAHS)の認定に関する手続きは、以前から慣習的に確立された手続きが存在していましたが、明確に文書化されたものが存在していなかったため、2016年に設立された科学審査委員会(Scientic AdvisoryGroup, SAG)※1の議論を経て、「GIAHS認定手続きに関する指針」を策定しました。

その内容を簡単に説明すると、図1のようになります。まず申請書は各国が作成しFAOの事務局に送ります。その際、その国の担当省庁や機関から送付するように各国に呼びかけています。これは、GIAHS認定地の保全活動を行うためには政策当局の関与が不可欠であり、必ず国が申請内容を把握している必要があるためです。当初、GIAHS保全活動には農業政策が中心的な役割を果たすため、提出国の機関を各国とも農業省に統一するように試みたのですが、国によって事情が異なるとの意見を受けて、各国の裁量に委ねることにしました。

事務局が申請書を接受すると、所定の様式に沿って十分な説明内容が記載されており、科学審査委員会に送れるものであるか否かを確認します。もし明らかに説明内容が不十分であったり、論理が明確でないような場合には、提出国に改善を促します。一見、簡単に見えるこの作業ですが、どのような点を改善すべきかをまとめるのにかなり読み込む必要があり、結構な時間と根気がいる作業です。

例えば、少し前に伝統的な灌漑システムを申請する際に、国全体にあるすべての同様な伝統灌漑施設をGIAHS候補として申請してくる例がありました。これに対しては、本当に世界的な価値のあるものに絞って再提出するようにお願いしています。また別の例では、農業関連の説明より、その背後にある伝統的な精神的文化の記述が中心となっていたため、これも改定と再提出を求めています。また、GIAHS認定地の能動的な保全(Dynamic conservation)※2を行うための「行動計画」が不十分であったりする例もあります。

本題から少し外れますが、この申請書を作るという作業、日本のようなしっかりとした行政組織や有能な専門家が存在する国では、それほど問題なく作成できますが、国によっては結構困難な場合もあるのが実情です。一口に申請書の作成といっても、GIAHSに登録できるようなしっかりとした候補地の把握から始めなくてはいけないわけで、さらにそうした候補地が、同じ国内であっても人種や文化が異なる地区にあるような国もあるのです。そうした場合には、地元住民の理解や合意を取り付けるだけでも相当の労力がかかる場合もあるという話を聞きます。時には、そうした地域の住民が中央政府に懐疑的であることもあり、交渉が容易に進まないこともあるらしいのです。我々としても、GIAHSの候補地の農業者や住民には、事前にGIAHSの申請や認定後のさまざまな影響に関する同意を得ることを奨励しています。これは、さまざまな分野で国際的によく用いられる、Prior Informed Consent(PIC:事前に通知された同意)という考え方です。前出の手続きに関する指針にも、この考え方が反映されています。

② 科学審査委員会による審査

この事務局の確認作業で特段問題なしと判断された申請書は、前出の科学審査委員会に送られます。科学審査委員会は、世界各地の地域(アフリカ、近東、アジア・太平洋、欧州、北米、ラテンアメリカ・カリブ地域)から選出された7名の専門家からなる集団で、GIAHSの科学的な審査を行う機関として2016年より活動を開始しているところです。日本からは、国連大学の武内先生が委員として参加しており、今年の2月に第1回目の会合を開催し、10月にも第2回目を開催しました。

委員会は、申請された地区がGIAHSとして適切か否かを専門的観点から判断します。送付された申請書の精読を通じて、その申請地区がGIAHSの選定基準を満たしているか否かを判断するのですが、文献だけではなく、実際に現地を訪問して、視察や聞き取り調査も行います。こうした複数の情報源から、最終的にその地区がGIAHSにふさわしいか否かを決定します。採択された認定地の情報はホームページに掲載されます。我々事務局は、この委員会の運営を事務的に支援する仕事を行います。

③ 最近の申請事例

GIAHSが知られるにつれて、申請書を提出する国も増えてきました。2015年は日本の3件とバングラデシュとインドネシアからそれぞれ1件ずつ申請が出されただけでしたが、2016年になってからは、エジプト、メキシコ、スリランカ、ベトナム、中国、韓国、インドから提案書が送付されています。このうち、インドは国内の農業研究所からの提出であったため、国を通じて再提出するように要請しています。エジプトは、昨年来の調査活動や国内での協議を経て、比較的よくできた申請書を提出してきました。同国では西部の砂漠地帯にあるSiwaとよばれるオアシス農業で、ナツメヤシやオリーブを中心に、果実や野菜の栽培を行っています。この申請は、10月の委員会で最終的にGIAHSに採択されました。メキシコは、チナンパというアステカ文明から長い年月にわたってメキシコの農民が作り上げた特殊な農地による作物栽培システムが指定されています。もともと現在のメキシコ市の大半は湖だったのですが、農民がまず湖水に浮かぶ浮き畑を作り、さらにその上に有機物や湖の泥を蓄積させて、次第に農地を造成していったのです。これも案件そのものは科学審査委員会でも好評でしたが、提案書の改善が必要との認識に至り、改定を依頼することになりました。スリランカからの申請は、ため池を水路でつないだ伝統的な灌漑による農業システム(タンクシステム)ですが、これも申請書の改定を要請することで合意しました。ベトナムは、石灰で形成された地形に農民が長い年月をかけて農地を造成して営んできた農業システムを申請してきましたが、これも申請書の書き直しとなっています。エジプト、メキシコ、スリランカ、ベトナムの第1回目の議論が終了したので、次には、この春から夏にかけて送られてきた中国と韓国の案件を専門家委員に送り、次回(2017年2月)の科学審査委員会で議論することになりますが、それまでにメキシコ、ベトナム、スリランカなどが提案書の改定版を提出してくることも予想されるため、次回の会議では、多くの申請書の議論を行うことになる可能性があります。

なお、この科学審査委員会の委員は、他の国連の専門委員会と同様に、旅費の支給はありますが、労働対価としての報酬は無償で運営されており、そうした意味からも過剰な業務をお願いしにくいという背景があります。そのため、一度に委員会に各国の申請書を送ると、多忙を極める委員が処理しきれなくなる可能性があるため、逐次送るようにしています。

 

2. GIAHSの業務を支える手引書等の作成

GIAHSのような認定業務を行うに当たっては、その手続きや制度を外部になるべくわかりやすくして、透明性を確保する必要があります。そのためには、認定手続きなどをできるだけ文書化し、公表していく必要があります。また、提案書の作成が意外に困難であるため、作成を支援するための解説書的な文書も示していく必要があります。この作業も科学審査委員会の重要な業務です。本年2月と10月に開催した委員会では、先に紹介した「認定手続きに関する指針」や委員会の業務方法を簡単にまとめた業務手続きなどを新たに作成しました。また、GIAHS認定のための基準や申請様式もよりわかりやすくし、また最新の動向を踏まえて改定しました。今後は、さらに申請書の作成をわかりやすく解説した手引書、途上国を対象にした国内での議論の進め方や検討体制の確立方法を指導する指針、専門家による現地調査の実施に関する細目規定、さらには認定後の現状把握と評価の実施などの指針を作成していくことを考えています。この点に関しては、まだまだ多くのやるべきことがあることを痛感しています。

 

3. GIAHSの普及のための勉強会や広報活動

GIAHS事務局では、さまざまな勉強会(いわゆるワークショップや研修会)を開催して、GIAHSの普及や加盟国の能力構築を行っています。特に最近力を入れているのは、途上国におけるGIAHSの申請書作成や、保全のための諸施策の立案と実施に関する能力向上を目的としたワークショップです。大規模かつ定期的なものとしては、毎年秋に中国で2週間近くにわたり、約20ヵ国の参加を得て開催されており、今年も10月24日から11月4日にかけて行われました。会議室での講義や議論だけでなく、中国国内のGIAHS地区2ヵ所と中国のGIAHS認定地1ヵ所を訪問し、視察や現地での取り組みを学ぶという大掛かりなものです。中国側も自国の取り組みの成果を世界に示す機会でもあるため力を入れているようです。また、現地の要請や必要に応じて不定期に開催する場合もあり、本年4月には、メキシコ市で南米・カリブ海地域の国を対象にした勉強会を開催しました。メキシコ市がチナンパの認定に積極的になっていることを背景に、開会式にはメキシコ市長も登場するなど注目も集めました。6月には西アフリカ地域を対象にした勉強会を開催しています。今後も、こうした能力向上のための勉強会を各地で開催していくことを考えています。

 

4. 今後強化していく活動内容

来年2月に予定されている科学審査委員会では、新たな検討課題として、国連で合意された持続可能な開発目標(SDGs)にGIAHSがどのように貢献できるのかといった課題を検討する予定です。いまや、FAOは組織を挙げて、世界的規模で取り組む課題の解決に貢献する方針を示しています。その中にはSDGsだけでなく、温暖化対策、生物多様性の保全、持続可能な農業の推進といったさまざまな課題があります。2015年のFAO総会で、GIAHSはFAOの業務の中に明確に位置づけられました。このことは、GIAHSの目指すべき目的も、従来からの目的である、次世代に受け継ぐべき価値のある農業を指定し、その保全、現代的な環境への適用や発展を目指すというものに加えて、FAOが達成すべき目標への貢献が求められるようになったことを意味します。そうした意味から、SDGsへどのような形で貢献できるかを模索する必要性が出てきたのです。

また、今までは時間や人的・資金的資源が割けずにほとんど検討できてこなかったGIAHS採択地域の現状把握と、採択以降行われている保全、さらには現代的な環境への適応や能動的な保全のためのさまざまな施策の実施状況やその効果を把握する作業を実施しなくてはいけません。なぜならば、この把握こそがGIAHSの目的に深く関連するからです。もし、GIAHSの現状があまり芳しいものでなければ、能動的保全のための対策を変更していく必要があります。そのためには、GIAHS認定地域の代表者が一堂に会して、有効な保全や発展の対策を議論し経験共有を行う必要性を痛感しています。

※1 直訳すると「科学提言グループ」となりますが、本委員会の性質を表現するために本連載でのみ用いる訳であり、正式のものではありません

※2 本連載でのみ用いる訳です

関連ウェブサイト:FAO:GIAHS:www.fao.org/giahs/giahs-home