
FAO土地・水資源部 GIAHS(世界農業遺産)事務局
立川淳平さん
私は2013年9月より農林水産省から準専門家(APO)として派遣され、土地・水資源部(Land and Water Division)で GIAHS(世界農業遺産)イニシアティブの事務局員として働いています。
GIAHSとは、社会や環境に適応しながら形づくられてきた、独自の生物多様性・伝統的知識体系・文化・景観を内在する世界的に重要な農業・土地利用のことです。こうしたシステムの多くは生産性偏重の近代農業の導入によって負の外部効果が増大し、さらに近年の急速なグローバル化や気候変動に対応できずに衰退の危機にあります。こうしたシステムを一体的に保全し、次世代に継承していくことを目的として2002年に誕生したのがGIAHSイニシアティブです。現在、14ヵ国32地区がGIAHSに認定され、認定地域では地域住民を主体とした保全活動が実施されています。
この仕事に携わっていると、ユネスコの世界遺産とどう違うのか尋ねられることがよくあります。どちらも次世代への保全を目的とすることは同じですが、その保全方針に違いがあります。その違いを示す良い例が、フィリピン北部のイフガオ族の棚田群です。この地区は1995年に世界遺産として登録され、その後、2008年よりGIAHSの先進地区としてスタートしました。しかし、この地区に初めてGIAHSの話を持ち込んだ際、地元農家はGIAHSに対して消極的でした。その背景には、この地区が世界遺産として登録された後、従来の側溝型用水路より維持管理が容易な暗渠水路の導入が計画されたのですが、原形のままに保全する世界遺産の目的に反するとして計画は認められなかったという経緯がありました。一方で、GIAHSは暗渠化が地元農家の生計拡大に寄与し、周辺環境や生物多様性等への影響を最小限に抑えるのであれば、形状変更を許容します。すなわちGIAHSは「進化する遺産」であり、社会情勢の変化や地域の実情に即した適応型管理を基本方針とします。このことを丁寧に説明することで地域住民からの理解を得て、取り組みをスタートしたという経緯があります。
この地域の実情に即した適応型管理の実現のためには、地域価値の再発見や、地域の人材育成が必須であることから、GIAHSの認定には農家だけではなく、非農家・行政・研究機関・NGO等の多様な主体の参画を得た申請書および保全計画作成を要件とします。一方で、こうして作成された申請書は国政府による承認が要件です。これは国政府が積極的に関与することで、保全活動活性化のための環境づくりを促進する法規制制定を促すことを目的としています。また、数年ごとに国際フォーラムを開催し、各国・各地域の取り組み事例を紹介し、GIAHSの果たす役割を国際的に発信しています。
事務局での主な業務は、ガバニングボディ(運営委員会・科学委員会)・各国関係省庁・FAO関連部局との連絡調整、プロジェクト進捗管理、会議・ワークショップ開催ロジ等で、これらは、FAOに派遣されるまで7年半携わってきた農林水産省での業務と大きくは変わりません。また、FAO幹部と要人との面会の際の応答要領作成依頼が初めて来た時は、FAOも日本の中央省庁と何ら変わらない官僚組織であることを実感したものです。ですので、将来国際機関で働くことを希望する方へのアドバイスとして、その目標に向けて何か特別なことをするのではなく、しっかりと地に足をつけて各々の職場での日常業務を行い、その中で自分の強みを磨いていくことが、逆説的ながら一番の近道だと考えます。一方で、仕事へのスタンスは日本と大きく異なります。こちらでは私生活と仕事のライフワークバランスを上手くとりながら仕事のアウトプットを出す人が評価され、日常の多忙な業務をこなしながらフルマラソン2時間40分の最高記録を持つ同僚もいます。このような環境では、日本式ワーキングスタイルは全く理解されません。そういう私も着任当時は慣れない環境への戸惑いもあり時間内に業務を終わらせることができず、誰もいなくなった真っ暗な廊下を歩いて帰ることもしばしばでしたが、今では公私のメリハリをきちんとつけ、業務後の時間は第2外国語の勉強や趣味のトライアスロンに充てています。
最後に、ユネスコの世界遺産の登録件数は今や1,000件を超え、これと比較するとGIAHSの広まりはまだまだです。しかし、私はGIAHSイニシアティブは食料安全保障や気候変動や持続可能な農村開発等といった地球規模の諸問題解決の一助となるポテンシャルを有していると確信しており、このイニシアティブの輪を広げていくべく、これからも頑張っていきたいと思います。