
FAO農業消費者保護局植物生産・防疫部
田口 真樹子さん
高校生の頃、国際協力・国際開発といえば、現地で技術協力をするものと思っ ていました。当時から国際開発に興味 があった私は、まずは手に職を持つため に大学は昔で言う農学部農学科に進学しました。そこでは農学の基礎を学び、 畑作・園芸から農業機械、畜産まで、 浅くとも幅広く勉強しました。学部・修士ともに畑作技術をテーマにし、論文は麦およびトウモロコシ栽培におけるマメ 科植物の間作の影響を研究しました。修士課程も半ばに入り、周りがみな就職 活動に忙しくなってきた頃、私は高校時 代の友人を通して外務省の国際機関 人 事センターが行っているアソシエート・エキスパート( APO )制度について知りました。この制 度を簡 単にいうと、外務省が新卒の人材を選考し、国連 機関に約 2 年間送り込む、というものです(現在は職務経験がないと採用されないようですが、当時は修士課程修了で採用してもらえました)。
当時国連については国際開発を行う国 際的組織、という程度の認識で、過去 に国連勤務をされた方の話やニュース、 新聞などを通じて聞きかじった、国連に 対する批判的な見解を知っていた程度 でした。その頃ソマリアでの内戦・虐殺 などもあり、国連に対してかなりの批判があった頃でしたが、しかし、批判する
ためには一度中に入って経験してみな いといけないと思い、採用試験を受けま した。書類審査と語学試験を経て、面 接試験に至ったのは、修了前の12 月だ ったと記憶しています。その頃すでに 友人は就職先が決まっているものもおり、 国連以外あまり考えなかった私としては、就職浪人する覚悟でいました。面接で かなりネガティブなコメントを面接官にされ、落ちること間違いなしと思っていましたが、しばらくして、良い結果をいただ きました。
採用先は自分の専門に合わせ、採用 機関に交渉してもらえたのですが、私に オファーが来たのはすべてFAO 本部の 仕事でした。私としてはフィールドで技 術協力に直接関わりたいと思っていた ので、本部にはあまり興味がなかったの ですが、人事センターの方に、本部に 行ってネットワーキングをして、後でフィ ールドに出ればいいという助言を受け、 ローマに赴任しました。赴任先は、農 業局(現在の農業消費者保護局)植物生 産・防疫部の畑作物グループでした。 この最初の赴任先で、良い上司と同僚 に恵まれ、多くの経験をさせていただき ました。2 年目からは、総合防除技術を 普及するプロジェクトに携わり、アフリカ やラテンアメリカを行き来するようになりま した。APOとして2年半勤めた後は、プ ロジェクトスタッフとして採用していただ き、総合防除技術普及の仕事を続けま した。
合計 5 年近くたった時点で FAOを離れ ることにした私は、他の分野でしばらく勉 強、経験を積み、2011 年にFAOに通 常スタッフとして戻りました。以前と同じ 本部の植物生産・防疫部に戻りました が、現在の仕事は現地での技術協力よ りも、政策に関わる仕事が主です。これ は、FAO 全体が技術協力よりも政策中 心に方向転換していることと、技術プロ ジェクトはほとんど現地事務所、あるい は地域事務所に管轄が移行しているこ とにあります。
仕事の内容は多岐にわたりますが、現在重要な仕事のひとつは、都市化に関わるものです。本年 10月には国連人間 居住会議( Habitat III )がエクアドルのキトで予定されており、持続可能な都市開発についての提言がされます。世界 の人口の半分以上が都市に住むように なった今、都市住民への食料供給、農 業用地と住宅開発の競争、農業従事 者の減少、自然資源の枯渇など、世界 の食料安全保障に関わる問題が多くあ ります。 都 市 化が進むにつれ、 食 文 化・食習慣の変化による肥満の増加も 懸念されています。このような、都市化 に関連する食と農業の問題が、国際会 議の中で十分に検討されるよう、国連 専門機関として政策への働きかけをし ています。この仕事では各国の政府代 表と話し合いをしたり、他の国連機関と の協議を行ったりしています。また、現 場でのプロジェクトと連携し、実際に現 場ではどのようにこの問題に取り組んで いるかドキュメントし、それをネットワーク を通じて世界に配信しています。
現在の仕事は以前していた仕事とはか なり質の違うものですが、新しい知識・ 経験も得られ、大変勉強になっていま す。いつも大学時代の恩師が言ってい た言葉「人生、一生勉強」を胸に、常 に新しい知識、経験を吸収していくこと を目標にしています。