
FAO気候変動生物多様性土地水資源局 土地水資源部
新野 有次さん
2003年よりバンコクのFAOアジア・太平洋地域事務所(RAP)に勤務し、2016年12月からFAOローマ本部にある現在の部署(土地水資源部)で土壌と土地利用管理を主な業務にしています。RAPでは土地管理や土壌の保全・肥沃度改善等を中心に、天然資源管理利用に関する活動に従事し、アジア・太平洋地域の土壌保全、作物栄養管理、保全型農業の普及推進に取り組んできました。FAO本部での仕事も基本的には同じ分野ですが、アフリカ、中近東、中南米を含む全地域が対象となり、資源管理の全世界的な政策・制度の作成や管理関連の仕事が多くなりました。国レベルのプロジェクト形成や実施支援の業務も継続しており、技術支援の現場を訪れる機会も少なくありません。

世界のいわゆる「課題」は時代とともに変化するもので、FAOでも昨今は食料の安全保障と飢餓撲滅の他に気候変動や災害対策が重要な課題となっています。課題の変化と世界経済の変化
に伴って予算や人事も移行し、私の所属部署も、この10年の間にFAO内部の組織再編による部署の編入と再編を繰り返してきました。1990年代後半頃より、FAO内だけでなく世界的に土壌に対する関心が薄れ、日本の大学から農学部の看板が外されていったように、課題に取り上げられない時期が続きました。しかし、ここ数年、環境と農業に対する土壌の価値が見直されつつあります。一昨年(2015年)は「国際土壌年」と定められ、昨年崩御されたタイ王国国王の土壌保全に対する貢献を記念して、国王の誕生日である12月5日を「世界土壌デー」に制定しました。土壌の可能性、特に土壌有機炭素に関する国際条約(UNFCCC,CBD,UNCCD)への貢献可能性の調査とデータ収集・作成は、当土地水資源局が運営する地球土壌パートナーシップ(GSP)が推進
する活動のひとつです。
高校生の頃に漠然と海外移住のようなものに憧れ、大学在学中にアジア・アフリカ研究会なるものに関わり、一年間休学して派米農業研修に参加した経験があります。農業の実施体験を通して経験と技術を体得しながら、海外農業を理解するのが目的でした。その頃はインターネットもなく、情報の多くは本と先輩からの経験談から得られるもので、模索と試行錯誤の、今思えば随分不便な世の中だったと思います。その後青年海外協力隊に参加しガーナで農村開発に関わったことが現在の仕事につながっている気がします。FAOに来る以前は農業大学校の職員をしたりJICAの派遣専門家としてミャン
マーとブラジルで農業開発プロジェクトに関わりました。ブラジルではかつて憧れた農業移住の現実と厳しさを目の当たりにし、並々ならぬ日系農業移民の苦労を知ることになりました。また、協力隊員とJICA専門家の経験を通して、海外で技術協力の仕事を続けるためには経験だけでなく高い専門性を持っていることが生き残りの条件であると認識させられ、家族を連れて社会人としては結構長い時間を大学院で過ごしました。その頃に、当時は日本にはまだ少なかったソフト系開発コンサルタント会社の代表や同僚と、「裏道国際派」と称して開発援助の現場で働くことの夢と苦悩を分かち合えたことで、長めのキャリア形成時期を継続できたのだと思います。

他の同僚が書いているように、FAOを含む国連機関には独特のカルチャーが存在しており、それが本部、地域、国レベルでも多様で、理解し慣れるのに時間がかかるようです。まだ着任したばかりの頃、ある国連機関を退職された方より、国連では日々戦ってこそ仕事が進められると言われて驚きましたが、その意味がすぐにわかりました。日本を含むアジアの国では、一般的に仕事は組織全体で協調的に行うという印象がありますが、国連ではポストに与えられた責任と権限が大きく、個人の能力と裁量が大きく影響する傾向があります。
開発協力にも多様な関わり方がありますが、いわゆる二国間援助の効率と制約の両面を見てきた経験から、国連機関の持つ優位性を発揮できる関わり方が重要であると考えています。特に深刻化する砂漠化・土地荒廃と安定した食料生産対策を中心として、今までの経験を生かしつつさらに困難な地域の改良に貢献したいと考えています。