国際連合食糧農業機関(FAO)駐日連絡事務所

第9回 静岡水わさびの伝統栽培

静岡県経済産業部農業局農芸振興課 主事 石井 寛子さん

この記事はFAO駐日連絡事務所が共同編集、JAICAF国際農林業協働協会が年4回発行する『世界の農林水産』2019年秋号(通巻856号)掲載されたものです。内容は出版当時のものとなります。

はじめに

わさびは、日本原産のアブラナ科の植物で、古くから、鮨や刺身、そばなどに珍重され、近年では「和食」の広がりとともに世界的にも注目される食材となっています。

わさび栽培は、江戸時代初期に現在の静岡県静岡市有東木[うとうぎ]で始まり、その後伊豆地域に伝播し、「畳石式[たたみいししき]」栽培が開発されると全国各地に栽培技術が普及し、県内においても独自の発展を遂げてきました。現在、県内では南アルプス山系に属する静岡地域や天城山系に属する伊豆地域、富士山麓地域等で生産されており、産出額で全国の78%を占めるなど、日本有数の産地として高品質なわさびを生産しています。

高品質なわさび生産のひみつ――「畳石式」栽培

静岡県のわさび栽培地域では、「地沢式[じざわしき]」「畳石式」「北駿式[ほくすんしき]」と呼ばれる伝統的な栽培方式が継承されています。「地沢式」は、急峻な地形において、傾斜のあるわさび田に礫や砂を敷いて栽培する最も古い栽培方式です。現在では、急傾斜地など「畳石式」ができない場所にわずかに残っています。19世紀に静岡県伊豆市で開発された「畳石式」は、現在県内のほとんどの地域で採用されており、従来に比べ収量が多く、品質も優れた収益性の高いわさび生産を実現していることから、最適なわさび栽培方式といわれています。「北駿式」は、「畳石式」を地域の地形に合わせて改良した栽培方式です。

「畳石式」わさび田は、階段状にしたわさび田で、内部が下層の大きな岩から上層へと徐々に小さい石を敷いた構造をしています。上流から豊富な湧水を掛け流し内部にも水が浸透することで、ろ過作用により軟腐病[なんぶびょう]等が回避されるとともに連作障害が発生しにくく、栄養分や酸素の供給により根茎の肥大に優れ、高品質なわさび生産につながっています。この「畳石式」は、豊富な湧水を必要とするため栽培適地は限られます。静岡県は降雨や地質等に恵まれているとともに、周辺環境に影響を受けやすいわさび栽培において、生産者が各栽培地に適した品種・系統を生み出し続けてきたこと、多くの災害に見舞われながらも地域で協力し復旧してきたことなど、多くの人の努力によって、今もなお日本一の産地を維持しています。

環境にやさしい栽培方式

わさび栽培地域の急峻な山間地には、年間約4,000mmの豊富な降雨があり、降雨は豊かな森を育て、火山性の地質に蓄えられ、豊富な湧水を生み、わさびを育み、下流にある農業にも利用され、やがて太平洋に流れる、環境に負荷をかけない農業システムができあがっています。

また、わさび田では、肥料や農薬をほとんど使用せず、水深が浅く溶存酸素が豊富な状態が維持されているため、清流を好む水生生物が数多く生息しています。わさび田周辺の生物多様性調査では、ホラアナミジンニナやモノアラガイなど国や県の絶滅危惧種に指定されている貴重種がわさび田周辺の渓流で繁殖していることが確認されました。わさび田は、水の流れが緩やかになるため、山間部の比較的流れの速い場所にありながらも、緩流を好む生物種が優占する特異な環境が形成されています。河川の源流に位置するわさび田は、環境改変や外来種の侵入が少ないことで、重要種の保全地域としても貴重な存在となっており、わさび田周辺の豊かな自然環境の保持にも貢献しています。

このような、他地域に類を見ない独自の農業システムが評価され、静岡県のわさび栽培地域は、2017年3月に日本農業遺産、2018年3月に世界農業遺産に認定されました※。

わさびを取り巻く課題と取り組み

認定後の保全・啓発については、静岡県および県内わさび栽培地域6市5町の自治体、JA、生産者団体で構成される静岡わさび農業遺産推進協議会を中心に、関係機関が連携して取り組んでいます。

● 伝統栽培を継承する取り組み

わさびは、世界的な和食ブームにより、国内外で需要が高まっていますが、適地が限られるため栽培面積の拡大は難しく、生産性の向上や優良苗の安定供給が課題となっています。静岡県では、生産者や大学、民間企業等と連携しながら、苗の安定生産技術や優良品種の開発、病害虫防除体系の確立など、技術開発によりわさび栽培を支援しています。

また、わさび田は長年利用すると汚れがつまり透水性が悪くなるため、石を組み直す定期的な改田が必要です。近年、洗浄ポンプ等によりわさび田を長期的に利用できるようになった一方、築田・改田技術の継承が難しくなっています。そのため、改田の機会が生じた際には、地域の若手生産者が積極的に作業に参加するとともに、若手生産者を中心とした築田・改田技術の研修会を開催しています。世界農業遺産認定を契機にこうした取り組みが促進されるよう、県を中心に支援しています。

● 生産環境の保全に向けた取り組み

わさび栽培には、豊富な水を涵養する森林が必要不可欠ですが、温暖化や気候変動、シカなどの野生生物の増加等により森林植生の変化が懸念されており、わさび生産者などの地域住民が主体となり植林や間伐を実施しています。また、わさび田周辺の多様な生態系を維持するため、県や協議会が中心となり、生物多様性調査によるモニタリングを実施するとともに、近隣の農業高校と連携した観察会を実施し、地域が主体となった保全活動に向けて支援しています。

● 観光産業との連携

日よけのために植栽されたヤマハンノキなど、山間地に広がる一連のわさび田はその独特な美しい景観から観光資源としても期待されています。特に一大産地である伊豆半島は、観光産業が盛んで、世界ジオパークにも登録されているため、各団体と連携した取り組みを推進しています。伊豆市では、修善寺温泉の旅館でわさびメニューを提供するキャンペーンや、ジオガイドへのわさびや農業遺産に関する講習、周辺宿泊施設からわさび田までのジオガイドによるモニターツアーの実施など農業遺産を契機とした新たな取り組みが始まっています。一方で、観光で訪れる人のマナーなどの課題もあり、生産者や自治体、観光関係者間で観光ルールを策定し、生産環境と観光との両立を模索しています。

● 「静岡水わさびの逸品」認定制度および賛助会員制度

静岡県では、古くから農家の副収入源として、わさび漬や茎の三杯酢漬などわさびを活用したさまざまな加工品が作られています。最近では、アイスクリームやチーズなど和食以外にも活用の場が広がっています。協議会では、こうしたわさびを取り巻く多様な関係者と連携を図るため、今年5月に「静岡水わさびの逸品」認定制度および協議会賛助会員制度を施行しました。

「静岡水わさびの逸品」認定制度では、「静岡水わさび」(認定地域で生産された水わさび)とその加工品等を認定し、わさびの出荷箱等の包装にロゴマークを貼付して販売することを予定しています。農業遺産とともに高い品質を誇る静岡県産わさびを広く周知することで、他産地との差別化を図りたいと考えています。

また、「静岡水わさびの逸品」をきっかけに、生産者だけでなく加工業者等ともより一層連携し、農業遺産の保全・啓発につなげていきたいと考えています。

おわりに

世界農業遺産の保全継承を図るには、まず生産者や地域住民が農業遺産について理解することが重要であると思います。これまで、認定記念フォーラムや各地域での講演などを行い、少しずつ地域での取り組みも広がっています。さらに各地域での自発的な活動につながるよう、県内外への周知に努めていきます。

※日本農業遺産の認定地は、御殿場市、小山町、富士宮市、浜松市を含む

 

関連ウェブサイト
世界農業遺産・日本農業遺産「静岡水わさびの伝統栽培」

FAO - GIAHS: Traditional Wasabi Cultivation in Shizuoka